カトリックのシスターで、ノートルダム清心女子大学(岡山)の学長・理事長を長く務めた渡辺和子氏によるベストセラーです。数ページで読み終われるエッセイが40編ほど収録されています。どれも読みやすく、心に響く内容のものばかりです。
本の題名「置かれた場所で咲きなさい」を悪く言う人もいます。たとえば下記のような記事です。

この記事でアルテイシア氏(作家)は「ぶっちゃけ奴隷になることを推奨するような本だと思った」と言い、渡邊さゆり氏(牧師)は「高校生でも、あの言葉が嫌いな生徒は結構多いですよ」と同調しています。
わたしの推測ですが、おそらくお二人とも本の中身を読まずに、題名だけ見て反射的に感想を言っているだけなのでしょう。
「置かれた場所で咲きなさい」の言葉については、この本の第一章の一つめのエッセイ「置かれたところで咲く | 人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」で渡辺和子氏の真意が述べられています。
まず「置かれた場所で咲きなさい」の言葉は、渡辺和子氏が36歳で急に縁もゆかりもなかった岡山のノートルダム清心女子大学の学長に任命され、うまくできず苦労しているときに宣教師から渡された詩の冒頭にあった言葉だということです。
この言葉を渡辺和子氏は、学生たちにも伝えます。ノートルダム清心女子大学には(おそらく今もそうだと思いますが)「不本意入学者がいる」と渡辺和子氏ははっきり言います。つまり第一志望校としてではなく、ここしか合格できなかったとしぶしぶ入学した学生のことです。学長がそんなことを言うのはかなり勇気がいると思います。そうした学生たちにたいし、腐った態度ではいけませんよ、この大学に来た以上、今できることをしなさい、と説いているのです。
ちなみにこのエッセイでは次のような言葉もあります。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。
それはそうですよね。何が何でも今ベストを尽くせ、結果を出せと言っているわけではないのです。
わたしが読んだところ、このエッセイの要点は以下の文章にまとめられてると感じます。
置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。
つまり渡辺和子氏の言いたいこととは「環境の奴隷になるな、そうではなくて、環境の主人になれ」なのです。
アルテイシア氏が「ぶっちゃけ奴隷になることを推奨するような本だと思った」と平気で言えるのは、この本の最初のエッセイすらも読んでいないからだということが、これでおわかりかと思います。
渡辺和子氏は9歳の時、陸軍教育総監であった父・渡辺錠太郎氏が、二・二六事件(1936年)の決起兵たちに自宅を襲撃され、数十発の弾丸を打ち込まれて射殺される様子を目の当たりにしました。シスターとなり、ボストン大学で心理学を学んで、ノートルダム清心女子大学の学長になったものの、50歳のときにうつ病を発症し、2年間の闘病を余儀なくされます。こうした実体験を少しも隠さずにさらけ出しつつ、穏やかな口調で人々を励まし、力づけようとする姿勢が、2016年に亡くなったあともこの本が売れ続けている理由だと感じます。