キリスト教の神は厳しく罰を与える存在なのでは?

「キリスト教の神っておそろしい存在で、すぐに罰を与える厳しい方なんじゃないかな?」と思う人もいるかもしれませんね。でもそれは誤解です。

愛に深く、怒るに遅い

神は、私たちのことを本当に愛してくれているお方です。たとえば本当に愛情深いお父さんやお母さんは、子どもが間違ったことをしたときにただ怒るだけでなく「こうしたほうがいいよ」「こっちの道が安全だよ」と教えてくれると思います。子どもが繰り返し間違っても、あきれたり見捨てたりせずに、しんぼう強く子どもに向き合い、ていねいに教えてくれるのが、ほんとうの親心なんじゃないでしょうか。神もそれと同じで、私たちが間違ったことをしてしまったときに、私たちが神へ立ち返るのをとても忍耐強く待っていてくれて、正しい道をやさしく教えてくれるんです。

わたしたちの間違いを知らせる

聖書には、間違い(罪)に気づいて神にゆるしていただくことの大切さが書かれています。これを見て「神って怖い存在なのかな」と思うかもしれません。でも本当は私たちを怖がらせたり、無理やり言うことを聞かせようとしているわけではありません。神は、「このままでは危ないよ」「もっと良い生き方があるよ」と教えてくれているんです。それは私たちが本当の意味で幸せになるためなんです。

神は愛そのもの

神は「愛そのもの」です。神は、たとえ私たちがどんなに失敗しても、何度でもやり直すチャンスをくれます。そのためには神とは思えないことまでしてくださいます。たとえばイエス・キリストが十字架にかかって私たちのために命をささげたのも、神の愛がどれだけ大きいかを私たちに伝えるためでした。それほどまでに神は私たちのことを大切に思ってくれているんです。

間違っても、助けてくれる

だから神のことを怖がらなくて大丈夫です。神は、いつでもやさしくあなたを見守り、困ったときには手を差し伸べてくれる存在です。もし迷ったり、苦しくなったりしたときは、「神よ、もうダメです。うまくできません。助けてください」と心の中で、あるいは声に出してつぶやいてみてください。きっと神はあなたを助けようと手を差し伸べてくださるはずです。

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