キリスト教どうしで、あるいは他宗教と戦争ばかりしているのでは?

戦争は宗教が原因?

キリスト教を信じる人が多い国々が戦争をしてきた歴史があるのは、とても悲しいことです。そして、その戦争の中でキリスト教の教えや信仰が持ち出されることがありました。しかし、それは必ずしも「キリスト教そのものが戦争の原因である」というわけではありません。むしろ、宗教が時に政治や権力闘争のために利用されてしまうことがある、ということなのです。

平和を祈る宗教

これは、歴史の中で多くの宗教が経験してきたことでもあります。たとえば、日本でも戦争の時代には、神社やお寺で「戦争に勝てますように」「国を守るために戦う兵士たちが無事でありますように」と祈ることがありました。また、神主さんやお坊さんが兵士を励ましたり、戦争の大義を説いたりすることもありました。しかし、神道や仏教そのものが戦争を推奨する宗教でないことは、今の私たちにはよくわかります。むしろ、現在の多くの神社やお寺では「平和を祈る」ことを大切にしており、戦争のない世界を願うメッセージを発信しています。

イエスの教え

同じように、キリスト教の歴史においても、信仰が権力者に利用された時代が何度もありました。しかし、イエス・キリストの教えそのものを振り返ると、それが「戦争を推奨するものではない」ことは明らかです。イエスは「剣を取る者は剣で滅びる」と言い、争いではなくゆるしを説きました。初期のキリスト教徒たちは、むしろ暴力を拒み、迫害を受けながらも平和の道を歩もうとしたのです。

利用された宗教

しかし、歴史の中で政治や民族対立が深まる中で、宗教が「大義名分」として使われることがありました。人々が自分たちの立場を正当化するために、神の名を持ち出したのです。戦争の背景には、政治的な問題や経済的な利害、長い歴史の中での民族対立など、多くの要素が絡み合っています。宗教そのものが原因なのではなく、そうしたさまざまな要素が絡む中で、宗教が「利用される」ことがあったのです。

平和を求めて

それでは、現代のキリスト教はどうでしょうか? 現在、世界中のキリスト教会は、戦争を避けること、平和を築くことを重要な使命としています。カトリック教会の教えでは、武力ではなく対話によって問題を解決することが強く求められていますし、多くのプロテスタント教会も同じ考えを持っています。実際、キリスト教の指導者たちは戦争を終わらせるために積極的に働きかけ、平和を実現するための活動を続けています。

広い視野で

だからこそ、私たちが戦争のニュースを見たときに、「宗教が原因」と決めつけるのではなく、その背景にある歴史や政治的な要因を広い視野で見ていくことが大切なのではないでしょうか? そして、どの宗教も本来は平和を願うものだということを、忘れないようにしたいですね。

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