悪いことをしたら、祈る資格がない?

そんなことはありません!むしろ、悪いことをしてしまったと思ったときこそ、祈ることがとても大切なんです。

キリスト教では、神はいつでも私たちのことを愛してくれています。たとえ失敗したり、悪いことをしてしまったと感じていても、神は「大丈夫だよ、やり直せるよ」と声をかけてくれるんです。神に「ごめんなさい」と素直に反省の気持ちを伝えることは、とても立派な祈りになります。

たとえば誰かに意地悪をしてしまったときや、わがままを言ってしまったとき「神よ、ごめんなさい。そして、もっとやさしい自分になれるよう助けてください」と祈ってみてください。それだけで心が少し軽くなり、愛のある人間に一歩近づけるのではないでしょうか。そして悪いことをしてしまった相手に謝る勇気をもらえるでしょう。

神は「おまえは悪いことをしたからもう知らない」と言うような冷たい存在ではありません。むしろ、私たちが失敗したときにこそ、そばにいてくれて「もう一度がんばろう」と励ましてくれるんです。

イエス・キリストは十字架刑で死んだというのはよく知られています。これはわたしたちが神の愛に背を向け、思いやりもやさしさもなく、憎しみや怒りのあまり戦争そのほか平気で悪いことをし続ける、悪魔に乗っ取られているとしか言えないような状態からわたしたちを救い出すため、わたしたちの身代わりになって死の苦しみを引き受けたのでした。

神はそれほどまでにわたしたちのことを思っています。だから、悪いことをしたと思ったら、まず神に話してみてください。神はいつでも、あなたの声を聞いて、ゆるしてくださいます。そして何度でもやりなおす手助けをしてくれるのです。

神よ、わたしはあなたに祈るのにふさわしい人間ではないかもしれません。でもイエス・キリストはそのようなわたしのために十字架にかかってくださったと信じます。どうかわたしを暗闇から救い出してください。そしてあなたの光を少しでも映し出す人になれるよう助けてください。アーメン

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