聖霊のはたらき

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神との愛のきずな

聖霊は、神がどれだけわたしたちを大切に思っているかを教えてくれる存在です。たとえば、祈っているとき、心がぽかぽか温かくなるような気持ちになったり、「神がそばにいる」と感じることがあります。これらは、聖霊がわたしたちの心に直接働きかけてくれているからだと考えられています。

また、落ち込んで「もうだめかも」と思ったときに、ふと「だいじょうぶだよ」という声を感じることがあるかもしれません。それも聖霊が励ましてくれているのかもしれません。

さらに、どう祈ればいいかわからないときでも、聖霊がわたしたちの心の中にある思いを神に届けてくれるとクリスチャンは信じています。

聖霊は、わたしたちと神を結ぶいきいきとした「愛のきずな」のような存在です。わたしたちはただ心をひらき、聖霊を受け入れることで、神とつながることができるのです。

心に届く神の愛

聖霊は神と人とを結びつける「愛のきずな」としていきいきと働きます。神は私たち一人ひとりを深く大切に思っていて、その思いを聖霊を通して私たちに直接届けてくれます。たとえば、心がふさがっているときや、自分の価値を見失いそうなとき、何となく「あ、大丈夫だ」と思えたり、「自分は愛されている」と感じたりすることはありませんか?それは、聖霊があなたに働きかけて、神の愛をそっと教えてくれているのです。

愛を実行する力の源

聖霊の愛は、単に心地よい感情を呼び起こすものではありません。イライラや落ち込みを一時的にまぎらわしてくれるだけのものでもありません。それは神からの力強い励ましであり、私たちが正しい道を歩むための手助けをしてくれるものです。たとえば、困っている人を助けたいと思ったり、誰かの痛みを少しでも癒したいと感じたりすることも、聖霊が私たちの心を動かしている証拠です。

神へ言葉を届ける

たとえ愛する人であっても一緒にいたり話をしたりするのがうまくできない時があるように、神へ心を向けたり、神に祈ったりすることがどうしてもできない時があるかもしれません。けれども心配はいりません。聖霊は、あなたの言葉にならない苦しい思いを神に届けてくれます。神が感じられない時、祈る気になれない時は、自分の意地やプライドを手放して、静かに十字を切ってみましょう。そして自分は何もできなくても、聖霊が自分の中で代わりに働き、あなたと神を結んでくれていることを信頼しましょう。

「聖霊よ、来てください!」

この聖霊の働きを感じるために、わたしたちは長い時間をかけてたくさんの本を読んだり、自分の努力で苦しい修行を積んだりする必要はまったくありません。ただ神に心を開いて、ありのままの自分を神にさらけ出せばいいのです。「聖霊よ、来てください!」と叫ぶだけで、聖霊はすでにあなたの中で働いています。この文章まであなたがたどり着いたのも、聖霊があなたの心を動かしてくれたおかげかもしれないのです。

正しい道を示す

迷ったときや、どうすればいいかわからないとき、聖霊はわたしたちの心に正しい道を教えてくれます。

たとえば、「これは良くないな」と思うことをついやりそうになったとき、心の中で「やめておこう」と引き戻される感じがしたことはありませんか?また、困っている人を見かけたとき、「助けなきゃ」と頭で考えるより先に体が自然に動いたことはありませんか?

それは、聖霊がわたしたちに働きかけてくれているからかもしれません。聖霊は、わたしたちが正しい道を選び、人を助けることができるよう、そっと背中を押してくれる存在なのです。

正しい道を示す

人生には迷いや悩みがつきものです。どうすればいいのか分からないときや、大事な選択をしなければならないとき、キリスト教では聖霊がわたしたちの心に正しい道を示してくれると信じられています。

方向を示す声

たとえば「これは良くないことだな」と分かっているのに、つい誘惑に負けそうになる瞬間があるかもしれません。そんなとき、心の中で「やめておこう」という声が聞こえたように感じたり、ふと立ち止まるような気持ちになったことはありませんか?友だちと言い争いになったあとで「このままじゃいけない、謝らなきゃ」と思う気持ちが生まれたことはありませんか?一般的には、こうした心の声は「良心」と表現されることがあります。一方でキリスト教の視点からすると、その声や感覚は、聖霊がわたしたちを正しい方向に導こうとしているのかもしれません。

愛に押し出す

また、困っている人を見かけたとき、頭で考えるよりも先に体が動き、「助けなきゃ」と自然に行動した経験があるかもしれません。これも、聖霊がそっと背中を押してくれた結果だと考えられます。聖霊は、わたしたちが善い行いを選び取れるよう、心の中から導いてくれる存在なのです。

真理へのはげまし

キリスト教では、聖霊はわたしたちの心に直接働きかける神の力だと教えられています。たとえば、聖書には「真理の霊」という言葉があり、これは聖霊がわたしたちに正しいことと間違っていることを教えてくれる存在であることを表しています。聖霊は、ただ厳しく戒めるための存在ではありません。むしろ、わたしたちが迷ったときや苦しいときに、そっと励ましを与え、正しい方向に進めるよう助けてくれる存在です。

選択に答える

たとえば、進路や職業選び、友人関係の悩み、家族との関わり方など、人生の中で「どちらを選べばいいのか分からない」という場面が訪れることがあります。そんなとき、静かに祈りながら聖霊に助けを求めてみてください。聖霊は、わたしたちの心に平安を与え、迷いの中から答えを見つける手助けをしてくれるでしょう。

人のために、自分のために

聖霊は、わたしたちの毎日の生活の中で、目に見えないけれど確かな力として働きかけています。その存在を信じ、心を開くことで、迷いや不安の中にあっても一歩を踏み出す勇気を得ることができます。そして、聖霊に導かれて正しい道を選び取ることが、あなた自身だけでなく、周りの人にも喜びをもたらすことにつながるでしょう。

人と人をむすぶ

聖霊は、神とわたしたちをつないでくれる存在です。でもそれだけじゃありません。聖霊は、わたしたちとほかの人を結びつけてくれる力でもあります。

たとえば、思いがけず素敵な人と出会えたり、誰かと心がぴったり通じ合ったりすることがありますよね。それは、聖霊がわたしたちの間に愛のきずなを作ってくれているからかもしれません。聖霊は、わたしたちが人と優しく接し、助け合うように働きかけてくれるのです。

人どうしのきずなを生む

聖霊は、神とわたしたちを結びつける存在ですが、それだけではありません。聖霊は、わたしたち一人ひとりを他の人とも深く結びつける力を持っています。この結びつきは、ただの友情や仲間意識ではなく、もっと深い意味を持つものです。 また、わたしたちの人生には、思いがけない出会いや心が通じ合う瞬間があります。初めて会った人とすぐに仲良くなれたり、長く会っていなかった友人と再会してもまるで昨日まで一緒にいたかのように感じたりすることがあります。それは偶然ではなく、聖霊がわたしたちの間に働きかけているのかもしれません。

人間関係こそ最大の悩み

たとえ神を意識していなくても、わたしたちは誰もが人との関わりの中で生きています。誰も人との関わりなしに生きていくことはできません。個人の努力だけで人間関係をうまくできればいいでのですが、それができないのも人間です。大事な家族や、たった一人の親友とさえも、決して望んでいないのにケンカしたり仲違いしたりしてしまうのがわたしたちです。

愛のきずなを与える聖霊

けれども聖霊はわたしたちがつながることを助けてくれます。聖霊は、神とわたしたちをつなぐ天からの愛そのものだからです。無限の愛は神とわたしだけをつなぐことにとどまりません。わたしからあふれて他の人とわたしをつないでくれるのです。個人の努力を超えて、わたしたちが誰かとつながることができるとすれば、それは聖霊がわたしたちの中で愛の絆として働いてくれているからです。

平和の人をつくる聖霊

そして愛である聖霊は、わたしたちに「平和を作り出す者になりなさい」というイエスの教えを思い出させ、争いを和らげ、和解へと導いてくれます。わたしたちが平和の使者となる力を、聖霊は与えてくれます。相手の立場に立ってものを考える想像力、困っている相手の悩みや苦しみを思いやる共感力、そして自分の利益よりも目の前の人を大切にすることを実行する勇気を、聖霊は与えてくれるのです。

祈りを助ける

ときどき、祈りたいのに言葉がうまく出てこないことがありますよね。何をどう言えばいいのか、わからなくなることもあるかもしれません。

でも、大丈夫です。聖霊は、わたしたちの心の中にある思いや気持ちを、そのまま神に届けてくれると信じられています。たとえ言葉にならなくても、聖霊がそっと助けてくれるので、安心して心を神に向けてみてくださいね。

祈れないとき

ときどき「祈りたいのに、何をどう言えばいいかわからない」と感じることはありませんか?心が重く、混乱しているときや、悲しみや苦しみで胸がいっぱいのとき、「助けてください」とうまく言えないことは誰にでもあります。キリスト教では、そんなときに聖霊がわたしたちを助けてくれると信じられています。

神に心をひらく

祈りに完璧な方法や形式はありません。神はわたしたちの心そのものを大切にしてくれる方です。だから、祈り方に迷ったときは、自分の気持ちをそのまま神に向けるだけで十分です。聖霊がその思いを神に届けてくれると信じて、心を開いてみてください。

定型の祈りを唱える

定型文の祈りを唱えることができれば、それでも充分です。すべてのキリスト教では、イエスが教えた「主の祈り」が広く唱えられています。カトリックでは聖母マリアにとりなしを願う「アヴェ・マリアの祈り」も親しまれています。黙って十字を切って「マラナタ」とひとこと言うだけでもいいでしょう。

ただ神に向かって

あまりにつらくて、定型の文章を唱えることさえできないという時もあるかもしれません。そんな時はただ沈黙して神に心を向けるだけでもかまいません。聖霊は、あなたの言葉にならないうめきを神に届けてくれます。聖霊の助けを信じて神に心を向けるならば、言葉にならない神とのつながりを感じることができるでしょう。ロザリオや不思議のメダイ、十字架のアクセサリーを握りしめたりするだけでも、きっと心に聖霊の助けを感じられるでしょう。

祈ること、信じること

どんなときでも、どんな場所でも、神に祈ることを大切にしてください。聖霊がわたしたちの祈りを助け、神とのつながりを深めてくれます。祈りによる神とのつながりの中で、わたしたちは心の安らぎと希望を魂のうちに見出します。それは聖霊が湧き上がらせてくれるものです。そしてそこからあなたは新しい生きる力と喜びを得られることでしょう。

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