他宗教を否定する、心のせまい宗教なのでは?

「キリスト教って、他の宗教を否定している心のせまい宗教じゃないの?」と思う人もいるかもしれませんね。でもそれは誤解です。

たしかに聖書を読むと、キリスト教が他の宗教に反対している場面が出てくることがあります。ただ、それは今から2000年以上前の特別な状況が関係しています。たとえば聖書が生まれた中東では、豊かな作物がとれるようにと願って、人間をカミサマへの生け贄(いけにえ)にする宗教があったんです。でも聖書の神は「私は人間を愛しているから、生け贄なんて必要ない。私を純粋に信じる心と、目の前の人に注ぐ愛こそが、私が一番よろこぶささげものだよ」と教えました。だから聖書の宗教は、生け贄をする宗教にはっきりと「それは違うよ」と反対したんです。

また、昔のローマ帝国では、皇帝を「神」として崇拝することが国家権力によって国民に強制されていました。でもそれは人々の本当の信仰ではなく、皇帝が自分の力を見せつけたり、国をまとめたりするための政治手段にすぎないものでした。クリスチャンたちは「真実の神は私たちを愛してくれる唯一の神であり、イエス・キリストだけです。国が権力を使って押しつける宗教は本当の宗教ではありません」と言って反対しました。

現代のキリスト教が特に反対しているのは、明らかに「ニセモノ」の宗教です。たとえば、宗教を装って人をだましたり、多額のお金を巻き上げたり、家族をバラバラにしてしまうようなカルト宗教。また、敵意や怒りをむき出しにして、憎しみや差別を広げる活動をする宗教団体。そして、人々を平気で傷つけるような、反社会的な宗教組織に対してです。

こうした「宗教」には、神の愛に感動する心も、目の前の人を大切にする思いやりの気持ちも見られません。そのためキリスト教はこのような行動や教えに対して、はっきりと反対の立場を取っています。もしあなたが、こういったよくない宗教のことで悩んでいたり、不安があったりしたら、近くの教会に相談してみてください。神父さんや牧師さんがきっと親身になって話を聞いてくれるはずです。

排他的な教会について

キリスト教を名乗る団体の中には、他の宗派や宗教に対してむやみに厳しい態度をとり、攻撃的な発言をするところも一部ですが存在します。またクリスチャンではない人々、日本の伝統宗教や一般的な宗教習慣を全面否定するような教会も、残念ながらないとは言えません。しかしこれは決してキリスト教全体の姿勢ではなく、むしろ例外的なケースです。

本来キリスト教の信仰は「愛」と「和解」を大切にするものです。イエス・キリストは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えました。神が望まれるのは、互いを尊重し、理解し合うことです。意見の違う他者をそれだけで敵視したり悪く言ったり、異なる信仰を持つというだけで人を見下したり排除したりすることは、キリスト教本来の教えとは相容れません。

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