現代に宗教はいらない?
「科学がこんなに発展した現代に、キリスト教(もっと言えば宗教すべて)はもう必要ないのでは?」と思う人もいるかもしれません。でも、それは大きな誤解です。科学がどれだけ進歩しても、人間が抱える根本的な問いには答えきれないことがあります。キリスト教は、そうした人生の深い疑問に光を照らすものなのです。
科学の役割
科学とは、「この世界がどのように成り立っているのか」「なぜこういう現象が起こるのか」を解き明かすものです。たとえば、地球がどのように誕生したのか、病気を治す薬がどのように作用するのか、といった世界の仕組みを研究し、説明するのが科学の役割です。
宗教が取り組むこと
一方で、キリスト教は「人生の意味とは何か」「苦しみや悲しみにどんな価値があるのか」「死を迎えた後、人間はどうなるのか」といった、科学では解明できない問いに向き合います。科学が「どのように」を探求するものなら、キリスト教は「なぜ?」という問いに向き合うものなのです。
現代のテクノロジー
私たちは、スマートフォンひとつで世界中の情報を手に入れることができ、お金の支払いや連絡手段としても活用できる便利な時代に生きています。科学技術は目覚ましく発展し、かつて解決できなかった病気が治療可能になり、宇宙の仕組みもどんどん解明されています。
問題はまだまだ山積み
しかし、こうした進歩の中で、人々が抱える悩みや孤独、争いがなくなったわけではありません。インターネットでいつでも誰とでもつながることができるはずなのに、孤独にさなまれたり、友人関係に悩んだり、家族関係がうまくいかずに苦しんだりすることは減っていません。科学がどれだけ発展しても、「人と人がどうすれば心からわかり合えるのか」「なぜ人は愛し合いたいのに、傷つけ合ってばかりいるのか」「人生にはどんな意味があるのか」といった問いに、はっきりとした答えを出すことはできません。
キリスト教は応答する
こうした問いに対してキリスト教は「神はあなたを愛している。あなたはひとりぼっちではない。あなたの人生には意味がある」という確かな答えを与えます。神の愛と希望は、どんな時代でも、どんな状況でも変わることがありません。人間が抱える心の問題や生きる意味についての問いは、科学が発展してもなお、変わらずに存在し続けるのです。
科学と宗教は対立する?
ときどき「科学と宗教は対立する」と考える人がいますが、それもまた誤解です。キリスト教は科学を否定しませんし、実際、歴史の中で多くの科学者がクリスチャンでした。たとえば、遺伝学の父と呼ばれるメンデルや、ビッグバン理論を提唱したルメートル神父は、どちらもクリスチャンでした。カトリック教会も科学研究の発展を積極的に支援しており、バチカンには天文学の研究所さえあります。
宗教と科学は手を取り合う
つまり、それぞれ違う領域を扱うものとして、科学とキリスト教は互いに補い合う関係にあるのです。科学は「世界の仕組み」を解明し、キリスト教は「人生の目的」を示します。どちらも、人間が生きていく上で大切なものなのです。科学的知識をどれだけたくさん暗記していたところで、「私は今日、何のために生きているのだろう?」ということがわからなければ、明日も朝起きる意味がありますか?
希望は信じることから
科学が発展すればするほど、私たちはこの世界の驚くべき秩序を知ることができます。そして、その背後にある大いなる存在に心を向けることができるのです。科学は人間の知識を広げますが、キリスト教は人生に希望を与えます。
科学とキリスト教
私たちに本当に必要なのは、ただ「どうすれば便利に生きられるか」という知識ではなく、「どう生きることが幸せなのか」という深い理解ではないでしょうか。科学とキリスト教は、どちらかを選ばなければならないものではなく、むしろ共にあって、人間の歩みを支えるものなのです。
