イエス・キリストは「神の国」についてよく話しました。それはただ単に「天国」のことだけではありません。今、わたしたちの心の中や、わたしたちが生きているこの世界で感じることができる、愛にあふれた時間や空間のことでもあるんです。
神の国はどこに?
イエスは「神の国はあなたたちのただ中にある」と教えました。たとえば、あなたが今いっしょにいる家族や友人をまごころから大事にしたり、目の前の人に親切に接したり、困っている人を助けたりするならば、その瞬間が「神の国」なのです。ですから神の国とは、決まった場所のことではなく、あなたの心の中や、あなたと誰かのあいだに生まれ、広がっていくものなのです。
疲れ切ったこの世界で
この世界におけるわたしたちの人生はいいことばかりではありません。あらそい、憎しみ、ねたみ、無関心、自分勝手なふるまいなどがぶつかりあう渦の中に投げ込まれると、誰でも疲れ切ってしまいます。「もうこんな世界に生きていたくない」と感じる人さえいることでしょう。「ここではない、どこか遠くへ行けば、理想の国があるのでは?」と思う人もいるかもしれません。
絶望とは、自分を見失うこと
けれどもイエスは「神の国は、あなたたちの中にある」と教えました。これはいったいどういうことでしょうか?まずはわたしたち自身を見つめなおさなければなりません。「この世界はひどすぎる、もうダメだ」と思う時は、実は周りの環境が良くないこともさることながら、同時にそれは自分を見失っている時でもあります。絶望とは、社会や他人に期待できなくなることだけではありません。自分に対する自信を失うことでもあるのです。
どうにもならない状況の中で
もちろん、周囲の状況があまりにも過酷で、耐えがたいこともあります。圧力や暴力が支配する場所では、そこから離れる勇気が必要な場合もあるでしょう。また組織や制度が歪んでいると感じるときには、その不正を正すために行動を起こすことが求められることもあります。さらに、すべてが混乱し、何もかもが間違っているように思える状況では、希望を見つけることが非常に難しいと感じることもあるかもしれません。
希望は、わたしたちの中から
しかしイエスは、たとえそのような状況でも、あなた自身の中に、そしてあなたと目の前の人のあいだから希望は生まれると言いました。イエスが伝えようとしたのは、「神の国」はわたしたちの心の外にある理想郷ではなく、わたしたち自身の中に芽生え、広がっていくものだということです。それはどんなに小さくても、わたしたち一人ひとりの心の中に始まり、やがて周囲を照らす光となるということです。あなたはどんな時でも、光をともすことのできる存在なのです。
関係から生まれる希望
そしてイエスが語った「神の国」は、ただ自分一人が救われる世界ではありません。それは、人と人がつながり、支え合い、まごころと思いやりを持って接する中で形作られていく関係性そのものです。わたしが中心ではありませんし、誰かほかの人が中心なのでもありません。たとえ小さなロウソクでも、何百本も集まればその場全体を照らすことができるように、わたしたち一人ひとりが自分の周りで小さな愛を実行すれば、それが「神の国」というネットワークを生み出し、世界に広がっていくことができるのです。
神の国で大切なこと
ではどうすれば神の国を生み出すことができるのでしょうか?それにはまずわたしたちが生き方を変え、神を信頼することが大切だとイエスは教えました。今までの自分の利益を中心とした考え方や行動の仕方をやめ、思いやり・いつくしみ・やさしさを中心にしてすべてを考え、いつでも行動するようになることです。そして純粋に、素直に神を信頼することです。
子どものように
「神の国」は、わたしたちがまず神に心を開くことから始まります。イエスは「子どものようにならなければ、神の国に入ることはできない」と言いました。子どもは純粋な心で信じ、まっすぐに人を頼ります。しかし大人になるにつれて計算したり、疑ったり、損得を考えたりするようになります。神の国に生きるためには、そうした思考を手放すことが必要です。そして神がわたしたちをどこまでも大切にし、導いてくださる存在であることを素直に信じることが大切なのです。
ここで実現する神の国
さらに、神がわたしたちを大切にしてくださるように、わたしたちも目の前の人を大切にし、思いやりをもって生きることが求められます。もし自分の利益だけを考え、富や権力を奪い合い、人を利用するような世界になってしまったら、それは地獄のような状態です。しかし神の国はそれとはまったく正反対の世界です。そこでは、人はお互いに手を差し伸べ、助け合う仲間であり、互いにいたわり、思いやりを分かち合うきょうだいです。神の国は、わたしたちが互いに尊重し合い、優しさに満ちた関係を築くときに実現していくのです。
ゆるしの必要
神の国を生み出すために欠かせないことの一つが「ゆるし」です。争いをやめ、憎しみを手放し、怒りを鎮めることで神の国は広がります。敵対する人と和解し、心を開き合うならば、そこに神の国が生まれるのです。「ゆるすなんてとてもできない!あんなひどいことをした相手には、同じくらい仕返ししなければ気がすまない!」と感じることもあるでしょう。しかしお互いにそう考えて憎しみを募らせ、対立し続けることこそが、地獄のような状態なのです。
ゆるしとは、仕返しを考えないこと
ゆるすことは簡単ではありません。怒りや憎しみが心に湧き上がってくることもあるでしょう。しかし、まずは「復讐しよう」と考えることをやめることから始めてみましょう。怒りは感情ですが、復讐は考えた末の行動です。感情は自然に湧いてくるものですが、行動は自分の意思でコントロールすることができます。「どうしてもゆるせない」と感じるなら、まずは仕返しをしないと決めること。そして復讐を計画するのをやめること。それだけでも、あなたは神の国へと歩み始めているのです。
あなたのやさしさが、神の国
神の国は、わたしたちの小さな一歩から始まります。特別なことをしなくても、日々の小さな行動の中に神の国は宿っています。たとえば、疲れた表情をしている人に、やさしく微笑みかけること。悲しんでいる人のそばに静かに座り、そっと寄り添うこと。元気のなさそうな人に、明るい声をかけること。いつくしみとやさしさが込められている、小さな行いのひとつひとつが積み重なることで、神の国という大きな実りへとつながっていくのです。
神の国は、いま、ここに
イエスは「神の国は、あなたがたのただ中にある」と教えました。神の国は、どこか遠くにある特別な場所ではありません。わたしたちが、今、ここで、やさしさを実践し、互いに思いやりを持ち、人をゆるすときに、すでに神の国は始まっているのです。
神の国の完成
神への信頼と隣人愛にあふれた神の国は、イエスが神の国について教えた時から始まっていますが、残念ながらまだ完成していません。
ですから今はまだうまくいかないことばかりかもしれません。悲しいことやつらいこともあります。しかし神の国はいつかかならず完成するとイエスは教えました。その時にはすべてのすべての悲しみや苦しみが消え、完全な平和と喜びが実現します。
わたしたちが今日、神を信頼して目の前の人を大切に生きることは、決して無駄ではありません。それは完成する神の国への第一歩です。神の国はすでにわたしたちのただ中にあり、そしていつかすべてを包み込んで完成することが、今日を生きるわたしたちの希望なのです。
イエスの約束
イエス・キリストがこの地上に来て、「神の国は近づいた」と語られたとき、それは単に遠い未来のことを指していたのではありません。神の国はすでに始まっており、今この世界の中で育まれ、やがて完成へと向かっていくものです。しかし、それはまだ完全な形になっていません。わたしたちは日々、悲しみや苦しみ、争いや不正に直面し、この世には不完全なものがあふれていると感じます。けれどもイエスは、どんなに世界が混乱し、不完全に思えても、神の国はいつか必ず完成すると約束されました。
確かな未来
では、神の国が完成するとはどういうことでしょうか? それは、神の愛がすべてのものを包み込み、世界が完全な調和と平和に満たされることを意味します。神の国では、すべての苦しみが終わり、涙が拭われ、もう二度と悲しみや争い、痛みがない世界が実現します。それは単なる理想ではなく、神が約束された確かな未来です。
新しい天と地
聖書には「新しい天と新しい地」という表現があります。それは、今の地上や宇宙ではなく、どこか別次元の世界という意味ではありません。また今の世界がすべて破壊され尽くしたあとにできるユートピアという意味でもありません。確かにこの世界のものの中には、その時が来ると消え去るものもあります。人間が造ったモノ、人間が集めたモノ、憎しみや怒り、不正や争いは姿を消します。しかし今までは不完全だったけれども完成されるものもあります。いつくしみ、やさしさ、思いやり、信頼、感謝、賛美などは完全なものになり、永遠の光を放つことになります。
愛は、何一つムダにならない
つまり今わたしたちがまずは心の中で神を信頼し、目の前の人を大切にするならば、それは完成された神の国へとつながるのです。わたしたちの思いやりのある言葉、正義のための行動、困っている人を助ける行為、そしてゆるし合う心の中に、神の国のしるしがすでに表れているのです。
いつ完成?
では、その神の国が完成する日はいつ来るのでしょうか? 聖書には、その時は神だけが知っていて、わたしたちはその日を正確に知ることはできないと書かれています。しかしその日が来ることは確かであり、わたしたちは希望をもってその時を待ち望むのです。神は必ず完成した神の国をわたしたちに与えます。その時には天と地が手を結び、生きている人も死んだ人も新しいいのちに作り替えられて神の国を見ることになるでしょう。ただおそらく多くの人は、いちど肉体の死を経てから、新しいいのちのもとで神の国の完成を味わうことになるでしょう。
この世を生きる希望
わたしたちがこの地上での人生において神の国の完成を見ることができないからといって、すべてが無駄になるわけではありません。わたしたちが善を選び、正義を求め、やさしさをもって生きるならば、それがどんなに小さなことだったとしても、それは永遠に神が目に留め、完成された神の国の一部にしてくださいます。これこそが日々の喜び、明日への希望です。わたしたちは神の国の完成を待ちながら、すでにこの地上において神の国を生きることができるのです。イエスは「目の前の人を大切にしなさい」「困っている人を助けなさい」「敵をもゆるしなさい」と教えました。これらはすべて、未来の神の国を今日生きる具体的な方法なのです。
